水引折り方教室
結び 礼和
水引は日本古来の礼法です
水引の始まり
奈良の飛鳥時代 推古17年(西暦608年)
遣隋使 小野妹子の帰国に伴い来朝した答礼使 文林郎裴世清の献上品に
紅白に染められた麻紐が結ばれていました。
この習いが貴族社会の礼式、国風文化として形成されていきます。
そして平安時代(10世紀頃)、貴族社会に発展した
『クレナイ』から水引へと移り変わっていきます。
『クレナイ』とは麻紐を青、黄、紫などに染め
詩歌集の綴じ糸に用いられたものです。
この綴じ糸は『クレナイ』から『こより』になり、そして『水引』へと変わっていきます。
武家の文化へ
鎌倉時代
武家の勢威が強くなり、其れに伴い礼装が確立されていきます。
室町時代
武家の礼法の伊勢家が殿中の礼法を、
小笠原家が弓馬の礼法に力を注いだ贈答の礼、
貴人への贈り物など、あらゆるすべて折紙にて包み、水引を掛けました。
水引結びは公家社会または武家社会の女礼式として発展していきます。
貴人への贈り物は、馬、刀、弓、馬具などの武具、反物、着物、化粧道具、香、扇、茶道具、短冊、木の花、草の花など多岐にわたりました。
江戸時代
江戸時代の中頃を過ぎると、武家社会から豪商人の中にも広まっていきます。
結びの文化は世界中にありますが、水引は日本独自のものです。
受け継いでゆく日本文化
古来より水引は格式が高かったため
戦後になって、ようやく一般社会へと広まっていきます。
用済となった水引折方の多くは、川に流されたり、
神社に納められてお焚あげで焼かれてしまいました。
そのため残存するものは極めて少なく、
使われなくなってしまった様式なども多いです。
今でも民俗学の中では空白の学問とされています。
先人から受け継いできた正しい知識と技術を
後世に残してゆきたいです。
水引の産地、長野県飯田地方について元結の生産地であったが、断髪令後、水引生産に転向。昭和40年代に入り水引の生産も機械化される。
水引折り方教室
〜 結び 礼和 〜
講師 : 江崎 時和
日本結び文化学会 会員
1977年
着付け教室へ入門、この時に結びは人の一生を司る言葉と知る
その後、教授免許を取得し、講師として7年間着付けを教える。
その間に組紐、ちぎり絵も学ぶ
1994年
平澤水引折り方教室へ入門
1996年
日本結び文化学会へ入会
小笠原清詮先生から折り紙の手ほどきを受ける(武士の礼法)
1997年
第8回国際結び文化展(台湾)出展
水上氏(1940年以前の作品)復元始まる
日本結び文化展(国内展)出展 毎年
日韓結び文化展(国際展)出展 隔年
2017年1月
日本結び文化学会国内展(福岡)出展
2018年11月
第15回 国際結び文化展(鎌倉芸術館)出展
2020年2月
日本結び文化学会国内(沖縄)出展